万物の黎明——人類史を根本からくつがえす (ハラリの『サピエンス全史』もダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』も間違っているかも知れない)

「人類の歴史をざっくり理解したいなら、ハラリの『サピエンス全史』を読め」——そう言われて久しいですよね。もしかしたらジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』も読んだという方もいるかもしれません。

では、こう聞かれたらどうでしょう。

その二冊、どちらも間違っているかも知れません

今回紹介するのは、『万物の黎明——人類史を根本からくつがえす』(原題:The Dawn of Everything: A New History of Humanity。著者は故人類学者デヴィッド・グレーバーと考古学者デヴィッド・ウェングローの二人です。

この本は出版と同時に世界的な話題を呼び、「ハラリを論破し、ダイアモンドを蹴り飛ばす」と評された一冊です。

大げさじゃないですか?

実際に読むと、その挑発は全くの本気だとわかります。


「人類の歴史」を語ることの重み

ハラリもダイアモンドも、それぞれの方法で「人類史」を一本の線にまとめました。狩猟採集→農業→文明→国家、という流れです。わかりやすい。すっきりする。だからこそ世界中で売れた。

でも本書はそこに鋭くメスを入れます。

著者いわく、あの手の大歴史書は「広角レンズで撮ったざっくりした風景写真」にすぎない。そこには枝葉が切り落とされ、幹だけが残っている。本書が目指すのは、8K解像度で同じ風景を撮り直すこと——細部に潜む魔物を、もう一度可視化することです。

そして著者たちが根本的に問い直すのは、「人類はこれまでの歴史で何を手に入れたか」ではなく、「私たちは何を失ってきたのか」という問いです。

この視点の転換だけで、もう普通の歴史書ではないかと!

本書の著者の一人、グレーバーはかつて「ウォール街占拠」運動の中心人物でもありました。本書を書き終えてわずか3週間後に彼は亡くなります。事実上の遺作となったこの書は、現代社会の困境を鋭く指摘する視点と、もう一人の著者・ウェングローによる豊富な考古学的知識が融合した、二人の10年越しの共同研究の結晶です。


「なぜ人類は何万年も賢くなかったのか?」質問自体が間違っている

まず最初に本書が叩き壊すのが、「ホモ・サピエンスのパラドックス」と呼ばれる謎です。

私たちの祖先は、約50万年前には今とほぼ同じ大脳を持っていた。にもかかわらず、複雑な文明らしきものが現れるまでに何万年もかかった——なぜ? これが「ホモ・サピエンスのパラドックス」です。多くの教科書的な歴史観では、原始人は長らく「本能のまま生きる野生の動物」に近かった、とされてきました。

しかし近年の考古学的発掘が、この前提をひっくり返しつつあります。

たとえばロシアのスンギール遺址(約3万年前)。ここで発掘された墓には、マンモスの牙やキツネの歯を精巧に加工した小さなビーズが大量に埋葬されていました。推計によると、そのビーズの製作には1万時間以上の労働が必要だったと見られています。さらに子どもの墓には特に豪華な副葬品があり、長いマンモスの牙で作られた槍まで添えられていた。身分の差が、すでにそこにあったのです。

またトルコ東南部のギョベクリ・テペ(約1万1千年前)では、高さ5メートル、重さ1トンを超える巨大な石柱が200本以上並んでいます。現在知られている中で最古の「ストーンサークル」です。石柱の一本一本は独自の彫刻や人型のレリーフを持ち、明らかに高度な芸術的意図を持って作られています。

これらは農業すら知らない人々が作ったものです。「まだ文明がなかった頃の人類」は、本当に何も考えていなかったのでしょうか。

本書の答えは明確です——人類は最初から複雑なことをやっていた。ただし、それは”季節によって”だった。


「季節性」という革命的な視点

では、なぜ豪華な遺跡素朴な遺跡が同じ時代・同じ地域に共存しているのか。本書が提示する答えが、「季節性(seasonality)」という概念です。

ここで登場するのが、南米のナンビクワラ人の事例です。彼らは乾季と雨季で、まるで別の社会を生きます。

雨季には数百人規模の村落に集まり、農耕を行い、酋長は村の調停役として平等主義的に機能します。ところが乾季になると人々は小さな狩猟採集グループに分散し、酋長は一転して「英雄的指導者」として命令を下す。同じ人々が、季節によってまったく異なる政治システムを使い分けているのです。

このダイナミズムは20世紀の著名な人類学者レヴィ=ストロース(親日家、著書『月の裏側―日本文化への視角』など)の研究でも確認されています。酋長たちは「公共の仕事を引き受けること自体に喜びを感じる」特殊な人格を持っていた、と彼は記録しています。個人的な野心と公共の利益を器用に両立できる人間ですね。

どこか、現代の政治家に通じるものを感じませんか?

「季節性」という視点を導入することで、「豪華な遺跡と素朴な狩猟採集集団が同じ地域に共存している」という謎が、格段に理解しやすくなります。

ギョベクリ・テペの巨石構造物にしても、東欧のマンモスの牙で作られた建造物にしても、これらはある季節に大豊作や大規模な狩猟が訪れ、一時的な物質的豊かさが生まれたときにだけ出現した大型集落の痕跡だったのです。それ以外の時期には、そこに暮らす人々は散り散りになり、周辺で狩猟採集を行う小さな群れへと分かれていました。

考古学者たちは今日、数千年前にストーンヘンジを建造した集団もこうした「振り子式社会」だったと推測しています。彼らはドングリを主食として採集しつつ、豚や牛を飼育し、冬になると一斉に屠殺して食べていました。

そして冬至のような年間の重要な節目を迎えると、ブリテン諸島の各地から人々がイングランド南部の平原へと集結し、肉や魚をたっぷりと食べ、木材と石を使った大型の儀礼的建造物を築き上げた。だから、ある場所では冬に数千人規模の大きな村落が出現し、夏には誰もいない荒れ地になる——そんな光景が繰り返されていたのです。

現在最もよく知られているストーンヘンジは、実は一連の記念建造物のうち最後に作られたものです。それ以前に建てられた巨石構造物や巨木構造物の多くは、完成からしばらく経った後に解体されています。

もっとも、ナンビクワラ人とは異なり、この集団は冬のほうが物質的に豊かで、遠距離にわたる石材の運搬や建設を取りまとめるために「王」に似た指導者的な役割が生まれていた可能性があります。一方、夏にはより平等主義的な暮らしを営んでいました。また、古代の墓に埋葬された、ひときわ豪華な副葬品を持つ人物たちは、生前に季節ごとの重要な役割を担っていた人々だったのかもしれません。


農業革命は「革命」じゃなかった

次に本書が解体するのが、もう一つの「常識」——農業革命です。

農業が始まったから定住し、都市が生まれ、文明が成立した。これが教科書的な流れですよね。

しかし本書は言います。農業の「普及」にかかった時間を見れば、それはとても「革命」と呼べるものではなかった、と。

西アジアの新月沃地(Fertile Crescent)での考古データによると、人類が穀物を耕し始めてから、それが「主食として定着」するまでに3000年もかかっています。実験的な研究では、最も原始的な収穫法でも200年以内に作物は「栽培種」へと変化できることが示されています。

確かに、変化が遅すぎて革命と言えないですね

なぜ10倍以上の時間がかかったのか?答えは単純で、人々は農業を「遊びのひとつ」として楽しんでいたからです。食料を確保するための切実な手段ではなく、あくまでも選択肢の一つ。農業を試しては捨て、また戻ってくる——そういう柔軟な関わり方をしていたのです。

純粋な農業への依存は、個人の健康にもリスクをもたらします。食物の多様性が失われることによる栄養不足や、炭水化物の割合が高まることによる虫歯の増加などがその例です。さらに、集団全体を脅かす危険性もありました。

最も典型的な事例が、紀元前5500年頃の中央ヨーロッパの農民たちです。彼らは肥沃な三日月地帯から中央ヨーロッパへと移住し、ヨーロッパ沿岸部で栄えていた狩猟採集社会を避けながら、農業技術を武器にそれまで無人だったヨーロッパ内陸部に根を下ろすことに成功しました。

しかし人口が急増した後、紀元前5000年から4500年にかけて現地の人口は壊滅的な減少を遂げ、無数の乱葬塚と戦争の痕跡を残しました。その大きな原因のひとつが、単一作物への依存です。災害に対してあまりにも脆弱な社会構造だったのです。

さらに驚くべきことに、農業を採用した後で捨てた人々の記録もあります。先に紹介したストーンヘンジの建造者たちにも見られます。彼らはもともとヨーロッパ大陸で農耕を営んでいましたが、海を渡ってイギリスに渡ると、むしろ農業を捨て、季節的な牧畜と狩猟採集の生活を選び取りました。

農業は「進歩」ではなく、リスクと利便性をてんびんにかけた上での選択だった。つまり、最初期の農業拡大はあくまで「実験」であり、大規模な社会変革の基盤となるものではなかったということです。

むしろ各大陸の初期農耕民は、資源の比較的乏しい土地で農業を広げていたにすぎず、利害を天秤にかけた末にいわゆる「低水準の食料生産」へと立ち返ることも珍しくありませんでした。こうした生産様式の採用と放棄は、いずれも季節性社会が持つ柔軟性の原則と一致しています。


「支配の三原則」——国家とは何か、という新解釈

こうして「破」を積み重ねたのち、本書は独自の国家起源論を「立てます」。著者たちが提唱するのが、「支配の三原則」というフレームワークです。

すべての権力は、次の三つの要素のどれか(あるいは組み合わせ)から生まれる——

  1. 暴力的支配(主権):一定の領土内でメンバーを物理的に従わせる力
  2. 情報支配(行政・神秘主義):専門的な知識や複雑な術語によって序列を作る力
  3. 個人の魅力(英雄政治):声望や競争によってエリートが権威を確立する力

この三つの組み合わせで、世界各地の「文明」を分類し直すのが本書の後半です。

たとえば北米のナチェス文化は「暴力のみ」の一階文明。首長「大いなる太陽」は文字どおり神の子として振る舞い、法律を作りながら自分はその法律の外にいる——まるで「善悪を超えた神」を演じていました。ただしその暴力は村の外には及ばない。

南米のチャビン文化は「情報支配のみ」の一階文明。宮殿も軍隊もなく、代わりにシャーマニズムと複雑な幻覚的図像が支配の基盤でした。聖地への巡礼によって、広域の人々が結びついていました。

中米のオルメカ人は「魅力のみ」による文明。彼らが発明した球技(後のマヤやアステカに継承される)は、一種の「季節的な英雄競技」として機能し、それが広域の文化的影響力の源泉になっていました。

確かにトップスターとかアイドルの影響力はすごいですよね

そして本書は中国の殷(商)王朝にも言及します。殷は占卜(情報支配)と対外戦争の大量動員(英雄政治)が発達した二階文明ですが、領土的な主権の主張は「四方の中心」という抽象的な自称に留まっていた。領土から離れると支配力は一気に弱くなる——これは多くの古代文明に共通する特徴です。

現代国家はこの三つすべてを高度に制度化したもの、ということになります。常備軍と警察、官僚制と法体系、そして英雄政治(選挙や国民的行事)。気づけば私たちは、三種類の支配を同時に受けながら生きているわけです。


私たちが失ったもの——三つの自由

最後に本書が提示する問い、「人類は何を失ったのか」に戻りましょう。

著者たちの答えは、「三つの自由」の喪失です。

  • 今いる場所から離れ去る自由
  • 権力者の命令を無視する自由
  • まったく新しい社会的現実を作り出す、あるいは異なる社会的現実の間を自由に行き来する自由

近年多くの若者がデジタルノマドを目指しているのも、まさにこの自由!

季節性の社会を生きていた祖先たちは、これらを当然のように行使していました。気に入らなければ移動する、気に入らない酋長は乾季が終われば無視する、社会の形そのものを季節ごとに組み替える——それが数万年間にわたる人類の姿でした。

しかし農業の定着と国家の誕生とともに、これらの自由は少しずつ失われていました。現代社会でこの三つの自由はほぼ消滅し、その代わりに高度に発達した「支配の三原則」が取って代わっています。

人類が失った自由を言い換えれば、「柔軟性と想像力」とも言えるでしょう。現代社会はここまでの歩みの中で巨大な物質的富を生み出してきた、それは間違いなく一つの成功です。しかしそこには、多くの大歴史書が陥りがちな誤解が潜んでいます。

「この道が通じた」ことは、「この道しかなかった」ことを意味しません

他の可能性についても、真剣に考える必要があります。とりわけ近三百年、ヨーロッパを起点に現代文明が急速に拡張する中で、数多くの独自の文化が消滅へと追いやられ、人類本来の想像力を忘れてしまった人々も少なくありません。


この本をどう読むか

本書の主張をすべて「正解」として鵜呑みにする必要はありません。著者自身、「社会理論には単純化が必要だ」と認めています。この本もまた、ひとつの単純化です。

でも大切なのは、「他の可能性を想像する力」を取り戻すことではないでしょうか。

「今の社会の形が唯一の正解だ」と思い込んだとき、人類の想像力は死にます。私たちの祖先が数万年かけて実証したのは、社会の形は変えられる、しかも何度でも、という事実でした。

歴史を学ぶのは過去を知るためではなく、未来の可能性を広げるためだ——そのことを、最も雄弁に語っている一冊です。


『万物の黎明——人類史を根本からくつがえす』 デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著 酒井隆史 訳 光文社(2023年)

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