職場を見渡したとき、チームで誰よりも真面目に働き、高い実績を上げている「エース」が、必ずしも最も早く昇進しているわけではないという現実に直面することがあります。それどころか、普段はそこまで死に物狂いで働いているようには見えないのに、自己アピールが巧みで、上司とのコミュニケーション(根回し)が抜群に上手い人物が、重要なポストをするりと射止めていく。
このような光景を目にしたとき、実直な人ほど深い困惑と憤りを感じるはずです。「真面目に働くことのリターンは、これほどまでに低いのだろうか?」と。
もしあなたも、こうした職場の不条理にモヤモヤした経験があるなら、スタンフォード大学経営大学院のジェフリー・フェファー(Jeffrey Pfeffer)教授による名著『「権力」を握る人の法則』(日本経済新聞出版)が、その視界を180度変える強力な武器になります。
フェファー教授は、膨大な実例と組織心理学のデータを基に、組織が稼働する冷徹な客観的ルールを暴き出しました。その思想の核心は、「組織において、権力(パワー)は待つものではない。自ら勝ち取るものだ」というワンフレーズに集約されます。
組織の本質は、複雑な政治的生態系です。このシステムの稼働ルールを理解し、味方につけることは、自らの身を守り、自分が信じる価値を社会で実現するために必須の「大人のサバイバルスキル」なのです。
キャリアの足を引っ張る「3つの障害(認知の錯覚)」を破壊せよ
フェファー教授は、具体的なテクニックを語る前に、まず私たちの頭の中に居座っている「3つの障害」を取り除かなければならないと言います。これらは、真面目なビジネスパーソンを「一生、平社員のまま据え置く」呪縛になっているからです。
第1の障害:「公正世界仮説」という美しい誤解
私たちが無意識に囚われている最大の呪縛が、心理学で言う「公正世界仮説(Just-World Hypothesis)」です。「世界は本質的に公平であり、努力した者は報われ、怠けた者は失敗する」というこの認知バイアスは、人間を「麻痺」させる致命的な毒薬となります。「実績さえ出せば、昇進や報酬は後からついてくる」と幻想を抱かせるからです。
しかし、フェファー教授の結論は冷酷です。「仕事の業績(パフォーマンス)と、キャリアの成功(出世)との相関関係は極めて低い」。
出色の仕事ぶりが、あなたの昇進を保証することはありません。それどころか、あなたが現場の穴埋めにおいて優秀すぎる場合、上司はその現場を回し続けるために、あえて理由をつけてあなたを現在の役職のまま据え置くことすらあります。
学校教育までは試験の点数という透明な公正世界が成立していましたが、職場のルールは違います。昇進は「上司という感情を持った人間」が下す主観的な判断です。業績はその判断の「入場券」にはなりますが、決定打にはならないのです。
第2の障害:「成功者の自己啓発本」という美化された罠
ビジネス書では一様に「自分の本心に従え」「誠実であれ」「謙虚で出しゃばらないことが大切だ」と説かれます。しかしフェファー教授は、あなたがまだ組織の階段を上っている段階にいるならば、これらのアドバイスは有害であると一刀両断します。
成功者が語るストーリーには、強烈な「生存者バイアス(Survivors Bias)」と自己美化が働いています。彼らは、社会的にウケの良いエピソード(努力や謙虚さ)を無意識に強調する一方で、かつて自分が泥臭く人間関係を構築し、綿密にパブリックイメージを管理した政治劇のプロセスを省略してしまうのです。「謙虚さが付加価値を発揮するのは、圧倒的な権力を手に入れた後の話。それまでの過度な謙虚さは、単にステージを他人に譲るだけの自殺行為」なのです。
第3の障害:「道徳の鎧」を着た自分自身の逃避
最後の障害は、「自分自身のマインドセット」です。 多くの人が、社内政治の存在や自己演出の重要性が分かっていながら、「それは自分のスタイルではない」と言い訳をしてブレーキをかけます。フェファー教授は、その心理の根底にある「自己限定」を鋭く見抜きます。
「こうしたプライドの高さは、変化への恐怖や失敗したときの傷つきやすさを隠すための『道徳の鎧』に過ぎない。努力して負けてしまう恐怖から逃げるために、最初から不戦敗を選んでいるのだ」。
ルールを理解する前に一蹴するのは、無知と臆病の裏返しです。私たちは、ルールの真相を見極めた上で「参加しない」という自由な選択をすることはできますが、ルールを知らないまま不満を並べるのはただの弱者の遠吠えです。権力や影響力は生まれつきの才能ではなく、後天的に練習してマスターできる生存スキルなのです。
組織のパワーを掌握するための「3つの必殺技」
では、具体的にどのようにして組織内での影響力を高めていけばよいのでしょうか。今日から実践できる3つの戦略に集約して解説します。
必殺技1:正しい「戦場(部門)」の選択
あなたがどの部門でキャリアをスタートさせるかは、あなたの出世の上限を決定づけます。組織内における各部門の権力は最初から不平等だからです。社内で最も権力を持っている部門を見極めるための客観的指標は3つあります。
- 報酬水準:その部門の幹部報酬が高いほど、権力の大きさと直結している。
- オフィスの物理的配置:経営トップ(CEO)の部屋に物理的に近い部署ほど、発言力が強い。
- 取締役会へのアクセス:どの部門のトップが最も取締役会に入りやすいか。
ここで教授は、「現在パワーを持っている部門に行くべきか、それとも将来パワーを持ちそうな部門を狙うべきか?」という問いを投げかけます。現在の核心部門はリターンが確実ですが競争が過酷です。一方で、将来の成長部門を狙えば、参入障壁が低く、部門が大化けたときにはあなたが「元老」になれます。
必殺技2:自らの存在を「可視化」し、声望を演じよ
この戦略の核心は、周囲に対して自分が「有能である」という印象を植え付けるイメージ管理にあります。
- 敢えて要求を突きつける
多くの人は、拒絶を恐れて昇進や昇給の要求を口にしません。しかし、人間は「他人が自分の要求を受け入れてくれる確率」を実際の半分以下に過小評価しています。頼まれた側は断ることに気まずさを感じ、むしろ要求を受け入れることで自分の価値を満たそうとする傾向があります。大胆に要求することは、自らの存在感を刷り込む絶好の機会になります。 - 「パワー」を演技する
有事において、人間の脳は「感情の表現方法」によって相手の地位を無意識に値踏みします。政治スキャンダルで追及されたオリバー・ノース中佐は、一切の萎縮を見せず、むしろ激しい「怒り(Anger)」を表現して強いコントロール感を維持しました。結果、彼は国民的なタフガイ・ヒーローとして熱狂的に迎え入れられました。心理学データが証明しているのは、「怒りや強気な姿勢を見せる者は、優勢で強力、かつ有能である」と判定されやすいという残酷な法則です。インテルの創業者アンディ・グローブが語ったように、「自信の演出は、やがて本物の自信に変わる」のです。これが確立されると、あなたの周囲には「有能な権力者」という強固な声望(レピュテーション)の防護壁が完成します。
必殺技3:無から有を生み出し「資源(リソース)」を掌握せよ
「誰が資源を握っているか」が、そのまま権力の大きさを決定します。資源とは、予算、核心的情報、人脈を指します。
1971年、スイスの大学を卒業したばかりの若者クラウス・シュワブには何の背景もありませんでしたが、欧州の経営者たちが米国式マネジメントを学びたがっているというニーズを見抜き、小さな勉強会を立ち上げました。これがのちに世界中の政財界のトップが集う「世界経済フォーラム(ダボス会議)」へと発展したのです。彼は「ハブ」となる会議を自ら創出することで、世界最強のネットワークの中心になり、巨大な権力を手にしました。
社会学者マーク・グラノヴェッターの有名な研究に「弱い関係の強み」という法則があります。本当に価値のある仕事の機会やインクリメンタルの情報をもたらしてくれるのは、親友ではなく、たまに連絡を取る程度の「緩い繋がりの知人」です。人と人を繋ぐ媒介になることで、すべての重要情報が自分を経由する構造を作ることができます。社内で異なる部門同士を繋ぐ「情報の中継地点」としてのポジションを確立した人間は、評価が高く、昇給スピードが圧倒的に早いことが証明されています。
権力と等価交換される「隠された請求書」
強力な戦略を学ぶと、今すぐ職場でゲームに参戦したくなるかもしれません。しかしフェファー教授は、ここで冷徹に私たちを制します。「権力の階段を上り始める前に、まずその値札を確認せよ。この世界に、無料のランチは存在しない」。
- 代償1:「管理権力」の拡大と反比例する「自主権」の喪失
ポジションが高くなれば、自分のスケジュールを自由にコントロールできるようになると勘違いしがちです。しかし、あなたが資源を握れば握るほど、無数の人間があなたとのアライアンス(同盟)を求めて面会を迫ります。経営学の巨頭ジェームズ・マーチが喝破した通り、「管理権力を持つか、自由な自主権を持つか、そのどちらかだ。両方を同時に手にすることは絶対にできない」のです。 - 代償2:周囲の「本音」が消え去る、果てしない真空の孤独
ポストが高くなれば、あなたの周囲には「あなた自身の能力」ではなく、「あなたの持っている利権」に群がる人間が増えていきます。トップの席に座る人間の周りからは「耳の痛い真実」が巧妙にフィルタリングされ、耳障りの良い言葉だけが残るようになります。周囲が本音を隠す「権力の真空状態」は、権力者が必ず飲み込まなければならない辛い現実です。 - 代償3:脳の報酬系を狂わせる「権力依存症」
フェファー教授は、権力が脳にもたらす生理学的メカニズムは依存性物質と極めて酷似していると警告します。高い権力を握っている状態が続くと、脳はその高いアドレナリン分泌レベルを基準値として適応してしまいます。そのため、退職によってその座を失った瞬間、肉体的・精神的な深刻な「離脱症状」に襲われます。権力を追い求めるということは、将来必ず支払わなければならない精神的負債を、今から前借りしているということなのです 。
結論:ルールを洞察した上で、自らの人生の「第一責任者」となれ
ジェフリー・フェファー教授が著書『権力を握る人の法則』を通じて伝えているのは、すべての人に「手段を選ばず頂点へ登り詰めろ」という浅薄なマキアベリズムの推奨ではありません。もしあなたが、自分の手がけているプロジェクトが正しいと信じ、組織で起こそうとしている変革が真に価値があると思うなら、あなたには、その変革を現実のものにするために「十分な権力と影響力を能動的に獲得する責任」がある、ということです。
自分がゲームに参加しないとしても、ゲームの底流にあるルールだけは完璧に熟知しておくべきです。ルールの力学を理解していれば、自分が望まない政治闘争に巻き込まれたときでも、自らの専門的立場や部下を守り、不当にゲームから弾き飛ばされるのを防ぐ防弾チョッキになります。
世界が公平であるという幻想を捨て、自己限定の鎧を脱ぎ捨てること。ルールの真相を冷徹に見つめ、自らのキャリアの「第一責任者」として主導権を握ったとき、あなたの仕事の業績は初めて真の価値を発揮し、あなたらしい自由なビジネス人生のロードマップが動き始めるはずです。
『「権力」を握る人の法則』ジェフリー フェファー (著) 村井 章子 (訳) 日本経済新聞出版 2011年


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