【ノーベル賞受賞者2024年新作】DNAの陰に隠れた主役――「RNA時代」到来

科学・技術
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私たちは学校の生物の授業で、「生命の設計図はDNAである」と習います。あの美しい二重らせんの構造は、遺伝学の象徴として広く知られています。20世紀後半は、まさに「DNAの時代」でした。

しかし、21世紀の今、生命科学の世界では静かな、そして劇的なパラダイムシフトが起きています。私たちが生きている現代は、実はDNAの影に隠れていたもう一つの分子、「RNA(リボ核酸)の時代」なのです。

2024年に欧米で出版され、大きな話題を呼んでいる一冊の本があります。それが、1989年にノーベル化学賞を受賞したアメリカの生物化学者、トーマス・チェック(Thomas Cech)博士の著書『The Catalyst: RNA and the Quest to Unlock Life’s Deepest Secrets((仮邦訳)触媒:RNAと生命の最も深い秘密を解き明かす探求)』です。本書は、気鋭の先駆者であるチェック博士自らが、RNA分子がどのように生命を創り出し、そして私たちの医療を劇的に変えようとしているのかを解き明かした極上のサイエンス・ノンフィクションです。

今回は、本書のロードマップに従い、前半では「自然がいかにRNAを使って生命を形作ったのか」、後半では「人類がいかにRNAを利用して生命を救おうとしているのか」について、じっくりと紐解いていきましょう。

前半:自然はいかにRNAで生命を形作ったのか?

化学的に極めて安定しているDNAは、細胞核の奥深くで「遺伝情報を安全に保存する」という一途な役割を持っています。一方で、形を自由に変え、活発に動くRNAは、生命活動の中で驚くほど多彩なマルチタスクをこなしています。

① タンパク質を生み出す3つの「連携プレー」

私たちの身体を構成する筋肉や酵素などのタンパク質は、20種類のアミノ酸が特定の順番で数珠つなぎになることで作られます。この組み立て工場となるのが、細胞核の外にある「リボソーム」という分子機械です。核内にあるDNAの情報をリボソームへ伝えるため、大自然は3つの異なるRNAを用意しました。

  • mRNA(メッセンジャーRNA):DNAの必要な部分だけをコピーし、リボソームへ走る「伝書鳩」です。リボソームが「レコードプレーヤー」なら、mRNAは「レコード盤」に例えられます。
  • tRNA(トランスファーRNA):1955年にフランシス・クリックが予言した、アミノ酸の「電話交換手」です。片方の端でアミノ酸を捕まえ、もう片方の端でmRNAのコードを読み取り、正確なアミノ酸を工場へと運び込みます。
  • rRNA(リボソームRNA):工場の骨組みです。かつてはタンパク質が主役で、rRNAはただの足場だと思われていましたが、研究によって、rRNAがなければ工場そのものが1ミリも稼働しない「主役」であることが証明されました。

つまり、タンパク質という生命の礎石は、RNAという「礎石のなかの礎石」によって生み出されているのです。

② 常識を覆した「リボザイム」の発見

20世紀半ばまで、生命体の中のあらゆる化学反応を加速させる「触媒」は、すべてタンパク質であるというのが医学界の絶対的な常識でした。この常識を打ち破り、世界に衝撃を与えたのが、本書の著者であるチェック博士自身です。

1970年代後半、博士は「テトラヒメナ」という単細胞生物のDNA転写を研究していました。DNAからコピーされたばかりの未成熟なRNAには、意味不明な遺伝配列である「イントロン」が含まれており、これらを切り取って正しい「エキソン」を繋ぎ合わせる「スプライシング」という作業が必要です。

チェック博士は、細胞内からすべてのタンパク質を徹底的に排除する実験を行いました。常識で考えれば、ハサミと糊の役割をする触媒がないため、スプライシングは起きないはずです。しかし、結果は異なりました。タンパク質が全くない環境でも、RNAは自らを自発的に切り貼りし、完成形へと変化したのです。

これは、「RNA自体が触媒としての機能(触媒活性)を持っている」ことの動かぬ証拠でした。博士はこの触媒機能を持つRNAを「リボザイム」と名付け、この功績でノーベル賞を受賞します。RNAは単なる情報の伝言係ではなく、自ら細胞を動かす「アクティブな主役」だったのです。

③ 40億年前の始まり:RNAワールド仮説

「設計図(DNA)が先か、動くための道具(タンパク質)が先か」という、生命起源のニワトリと卵のパラドックスに対し、RNAの全能性は美しい答えを与えてくれます。情報を保存でき、かつ自ら触媒として動くことができるRNAこそが、地球最初の生命の種であったという「RNAワールド仮説」です。億万年という地球の広大な時間の中での偶然の試錯(エラー)が、最初の自己複製するRNAを生み出し、生命の壮大な物語が始まったと考えられています。

後半:人類はいかにRNAで生命を救おうとしているのか?

自然が生命を創るために使ったこの仕組みを、今度は人類が「病を治し、命を輝かせるため」に応用する時代がやってきました。

① 希少疾患を狙い撃つ「RNA干渉(RNAi)」

アメリカだけでも数千万人を苦しめている遺伝性の希少疾患(遺伝性難病)の多くは、たった一つの遺伝子の異常によって、体内に「狂ったタンパク質」が製造されてしまうことが原因です。

細胞には、タンパク質の製造にブレーキをかける「マイクロRNA(miRNA)」という非常に短いRNAが存在します。これが特定のmRNAとぴったり結合すると、まるで案内人のように分解酵素を呼び寄せ、標的のmRNAを文字通りチョン切ってしまいます。この発見は「RNA干渉」と呼ばれています。

この仕組みを応用した創薬(RNA製剤)の最大の強みは、「プラットフォーム性」にあります。一度、薬の運び方や安全性の基本設計(ベース)を作ってしまえば、別の難病に対処する際、ターゲットとなるmRNAに合わせてRNAの塩基配列(コード)を書き換えるだけで、新しい薬を迅速に開発できます。実際に米アルニラム社などは、このアプローチで毎年のように革新的な希少疾患治療薬を世に送り出しています。

② 抗生物質の耐薬性と、人類を救った「mRNAワクチン」

現在、世界中で深刻化している細菌の「耐性菌(抗生物質が効かない菌)」問題の解決の糸口も、RNAの構造解析にあります。私たちが使う抗生物質の約半数は、細菌のリボソームRNAの隙間に「小さなレンチ」を放り込むようにして、細菌のタンパク質合成をジャミング(妨害)します。細菌がどのようなRNAの変形によって薬を拒絶しているのか、その立体構造を調べることで、次世代の抗生物質を精密にデザインすることが可能になります。

また、2020年の新型コロナパンデミックにおいて、人類を破滅から救った「mRNAワクチン」の功績は語るまでもありません。従来のDNAワクチンとは異なり、人間のゲノム(遺伝情報)に直接組み込まれるリスクが構造的にゼロであるmRNAを利用したことで、安全かつ、わずか1年未満という驚異的なスピードでワクチンを実用化することができたのです。

③ 癌への対抗策と「遺伝子編集」のゲームチェンジャー

細胞が分裂するたびに、染色体の端にある「テロメア」という命の回数券は削られていきます。しかし、癌細胞はこのテロメアを修復する「テロメラーゼ」という酵素を悪用し、不老不死となって無限に増殖します。このテロメラーゼもまた、タンパク質とRNAの複合体です。テロメラーゼ内のRNAが逆転写の型紙となってテロメアを伸ばしているため、このRNAの働きを薬剤でブロックできれば、癌細胞の増殖を根元から止める究極の癌治療に繋がると期待されています。

さらに、現在のバイオテクノロジーの勢力図を一変させた遺伝子編集技術「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)」も、RNAが核心を担っています。2020年のノーベル賞に輝いたこの技術は、狙ったDNA配列へと正確に手際よく案内する「ガイドRNA」があるからこそ、それまで10%未満だった遺伝子編集の成功率をほぼ100%へと引き上げ、誰でも扱える汎用技術へと昇華させることができたのです。

結語:私たちはすでに、きらめく「RNA時代」を生きている

トーマス・チェック博士の『The Catalyst』が私たちに教えてくれるのは、生命というシステムの圧倒的な美しさと精妙さです。

かつてはDNAを輝かせるための「ただの使い捨ての助手」だと思われていた微小なRNA分子は、遺伝情報の伝達、工場の稼働、生体反応の触媒、さらには命の限界の制御までを掌る、生命の真のディレクターでした。

40億年前に原始の海で生命の産声をあげさせたRNAは、今、人類の叡智と融合することで、難病を駆逐し、パンデミックを鎮圧し、癌を封じ込めるための最も洗練されたツールへと進化を遂げています。「RNAの時代」はまだ始まったばかりです。


『The Catalyst: RNA and the Quest to Unlock Life’s Deepest Secrets』 
Thomas R. Cech (著) 2024年

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